昌徳宮(チャンドックン)は1405年に、正宮である景福宮の離宮として建てられました
さて、「景福宮」 ・・・・なんと読みましたか・・・? 私はすぐ忘れてしまいます・・・・
(景福宮・・・・ キョンボックンと読みます)
景福宮の東に位置することから、昌慶宮(チャンギョングン)と共に
「東殿」と呼ばれたそうです
昌徳宮・・・・ チャンドックン
景福宮・・・・ キョンボックン
昌慶宮・・・・ チャンギョングン ・・・なかなか手強い読み方です、難しい・・・・
秀吉軍の襲撃によって、全ての宮殿が焼失しましたが(秀吉!何をした・・・?)
1615年に第15代王が再建して、景福宮が再建されるまでの270年の間、
ここ昌徳宮(チャンドックン)が正宮の役目を果たしました
朝鮮の宮殿の中で、王様が最も長く住んだ王宮だということです
他の多くの王宮が、戦争や火災、あるいは植民地時代の日本の支配(!また~)によって
本来の姿を失っているのに対して
ここ昌徳宮(チャンドックン)は、保存状態がよく、
李氏朝鮮時代の趣や生活様式を、色濃く残していると言われています
・・・と、前説はここまで、写真をご覧下さい
道路側から見る宮殿の屋根姿
昌徳宮(チャンドックン) 宮殿の配置図です
門の前に残る、ソウル最古の石橋・・・・・橋下にはもう水は流れていませんでしたが・・・
動物の彫刻も風雨にさらされて丸くなっています
宮殿内、最初の門
門前を取り囲む赤い壁の建物
門をのぞくと、その先には更に門が・・・・
門の中です
この日は土曜日に当りますが、地元の小学生も見学だと思います
当然、歴史として、秀吉や日本の植民地統治の話を聞くことになるのでしょう
日本の小学生は、そんな歴史を知っているでしょうか・・・・