マイオットは山縣有朋のことを、あまりよく言わなかったので
どういう人か調べてみました
山縣有朋
1838年(天保9年)生まれ~1922年(大正11年)没 (84歳、長寿です)
長州藩に生まれました
ペリーの黒船来航が嘉永6年・1853年ですから、このとき有朋15歳だったことになります
江戸時代の15歳は、黒船のことを、日本の未来を、どう思ったのでしょう・・・・・
(1861年~1865年まで、アメリカは南北戦争で大変な時期に当り、
通商条約を結んだ日本を相手にしている暇は無かったようです)
江戸時代、主にこの事件から、幕末の動乱期に入り、1868年明治維新まで
残り15年となります
山縣は、その15年の間に、高杉晋作率いる奇兵隊で頭角を表わし
政治の表舞台へと登場して行くのですから、変革の時代の象徴のような人かもしれません
ついでながら、今大河ドラマ「龍馬伝」の坂本龍馬は、1836年生~1867年没(31歳)
山縣より2歳年上でした
明治元年を見ることなく、殺されてしまったのです
山縣有朋の出自
生まれは「中間(ちゅうげん)」身分
中間とは足軽以下、脇差1つで、大名行列ではヤッコを勤める、
下級武士より更に下層に属していたようです
ちなみに、龍馬は土佐藩の下士ながら裕福な家庭に生まれていたとか
その人が明治維新後、総理大臣、公爵まで昇っていくのですから
明治維新が体制変革の大革命だったことがわかります
日本陸軍の父、官僚制度の確立に功績があったといいます
ただ、後の日本陸軍の暴走の芽は、この山縣有朋にあり・・・と言う事のようです
そういう人が、建築普請道楽で持った京都別邸
たいしたものです
他に東京には本宅とは別に椿山荘、山口にも別荘を持っていたとか
また無リン庵に戻ります
お庭に入る観光客入口
日本家屋、母屋内部の座敷
庭に佇むお茶室
母屋方向を見る